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2019.01.24

ためになる話、周りと同じことに意味はない

「ひとり」というと、
孤独感とか、さびしさとか、
マイナスなイメージを持つ人が多いかもしれません。

 

SNSがこれだけ発達して、
みんなが人とのつながりを求めているのだから、
当然のことだと思います。

 

けれど、金川顕教自身は、
ポジティブに「ひとり」という状態をとらえています。
人生の重点的戦略にしてきたといっても過言ではありません。

 

「ひとり」を大事にしてきたからこそ、今の金川顕教があります。

 

勉強にも集中できたし、
公認会計士の試験にも合格できたし、
独立・起業も順調にいって、
お金と時間の自由を手に入れられた。

 

どれも、「ひとり」じゃなければ、
まず成し遂げられなかったでしょう。

 

とはいっても、子どもの頃から
「ひとり」を意識してきたわけではありません。
「ひとり」を意識するようになったのは、中学2年の頃。
両親の離婚がきっかけでした。

 

父と兄と僕という、男3人暮らしがはじまってから、
なんでも「ひとり」でやっていこうという気持ち、
つまり、自立心がムクムクと芽生えてきたのです。

 

ほかの家庭のことはわかりませんが、
金川顕教の家の場合、母親がいなくなった途端、
何もかも自分でやらなければならなくなりました。

 

父が、僕と兄を男手ひとつで育ててくれたことは間違いない。
けれど、家族として固まって支え合っている、
というより、自立した父親と、自立した2人の子どもが
ひとつ屋根の下で生活している、という家庭。

 

否応なく「精神的に自立するしかない」という感じでした。

 

父はカメラマンで写真館を経営していましたが、
どうひいき目に見ても、流行っているとはいえない状況でした。
時どき店に記念写真を撮りに来る人がいて、
あとは地域の学校行事があると撮影に行く程度。

 

父が口に出すことはなかったけれど、
中学生だったからなんとなく家の経済状況もわかってしまい、
「何とかしなくちゃ将来がヤバイ。
経済的に自立しないと生きていけない」
と思うようになりました。

 

当時、親が離婚している同級生は周囲にいなくて、
みんなにとって当たり前のものが、僕だけないという感覚でした。
たとえば、手作りの弁当。父に弁当を作る余裕がなかったから、
みんなが弁当を食べている時、僕は買ったパンをかじっていました。

 

最初の頃こそ「手作りの弁当、食べてみたいな」とうらやむこともありました。
でもすぐに、「食べものは、おなかを満たすもの。
おなかいっぱいになれば、弁当じゃなくてもいい。
パンでも生きていけるんだ」と考えが変わりました。

 

そこから金川顕教は、
次の仮説を見つけました。

 

「周りと同じこと」に意味はないんじゃないか?

 

これはその後に仮説から確信へと変わり、
金川顕教は「群れること」から自立しました。
家庭環境で無理矢理「自立」を強いられた感は否めないし、
つらい時期ももちろんありました。
でも、結果的にはこの環境が僕にはすごくよかった。

 

中学時代に「精神的自立」や「群れからの自立」を経験し、
「将来は経済的自立が必至」と思えたことは、
金川顕教の人生に「ひとりでも平気」という、
最強の軸を作ってくれたからです。

 

以来、金川顕教の人生は
人に左右されることはなくなりました。

金川顕教

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